おはようございます♪♪
T・K企画の長濱ですm(__)m
本日のブログは、先日恩納村まで物件視察に行った際に立ち寄ったこちらの拝所をご紹介。
「赤犬子宮」
皆さん、何て読むかわかりますか?
僕は読めませんでしたが、
この拝所は「アカヌクー」と呼ばれているそうです。
上の写真の看板や改修碑にも「アカヌクー」と記されており、
改修碑には「アカヌクー」と呼ばれていているとの記述もありました。
ちなみに、Googlemapでは「赤犬子神社」になっていますが、
こちらと同じ場所なのでご心配なく。
さて、この「アカヌクー」には「赤犬子」が祀られているそうですが、
そもそも「赤犬子」とはいったい何なのか?
その説明はこちらの石碑と上の改修碑に記されていましたので、
とりあえず、箇条書きにしてみました。
①琉球音楽の世界では唄・三線の始祖として信仰されている
②今から約500年以上前、尚真王(1477~1526年)時代に活躍した
③1623年に編纂された「おもろそうし」では、「赤犬子」の偉業を讃える歌が40余首も記載さており、
おもろ歌・音楽に卓越した吟遊詩人であった
④大屋のカマーと屋嘉のチラー小との子で、長じては三線を携えて各地を巡り歩き、唄・三線を広めるとともに、
先々の事を予言したりし、さらに、唐から楚辺村に五穀(稲・麦・粟・豆・黍)を持ち帰った偉大なる人物
とのことです。
何かいろいろスゴい人なんですね(^_^;)
そして、この他にも楚辺公民館のサイトから「赤犬子」の民話が確認できますので、
その民話はコチラからご覧ください。
そして、階段を上り終えると拝所が見えてきます。
思ったより広くてキレイに管理されていました。
なお、こちらでは、毎年旧暦の9月20日に赤犬子まつりが行われているそうです。
また、3月4日の「三線の日」にはたくさんの関係者が訪れ、
琉球古典音楽や舞が奉納されるそうです。
階段を上る前から雰囲気のある場所だなと感じていましたが、
拝所はとても厳かな空気に満ち満ちていました。
この日は、この後にT・K企画でお預かりする近くの物件の視察予定でしたので、
しっかりご挨拶させていただきました。
ちなみに、拝所からは海も見えましたよ。
そして、階段を下りると途中にこんな石碑が。
左の石碑には「赤犬子終焉之地」と記されており、
右の石碑は「野村流音楽協会読谷支部」の歌碑となっていました。
上で紹介した石碑の一文に、
「生まれじま、禰覇むら(現楚辺集落の一部)に辿り着き、杖、ダンチク(筮竹のことか?)を岩山に立て、
聖なる光に導かれて昇天した聖地と言われています。」
と、記されているとおり、
この拝所がここに祀られている「赤犬子」の終焉之地となっております。
今回僕らは近隣での物件視察ついでに立ち寄りましたが、
現在三線に携わっている方やこれから三線を始める方などは、
三線の始祖と呼ばれる「赤犬子」を参拝に訪れるのもいいですね。
もしかしたら、本来はそれが正しい目的かもしれませんが・・・(苦笑)
なお、場所がわかりにくいですがその説明はこちらではしませんので、
他のサイトやGooglemapでご確認くださいm(__)m
皆さんも近隣を訪れた際はぜひ立ち寄ってみてくださいね♪♪